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2009年7月30日 (木)

誰かを失うことの意味、そして生きることの意味

今、家に帰ってきたらメールボックスに葉書が一枚あった。

私が小学校の時の英語の先生で、唯一「文通」ということを未だに続けている人からだった。

葉書の内容は最悪だった。

癌が見つかって、体の二か所に転移している。もう手術も、抗癌剤も、何も効かない状態で、あとは神に祈るしかないと書いてあった。

こういう状況では、きっと自分が相手に対して出来ることはとても限られていると思う。残された時間が分かっている人に対して自分が何が出来るのか、何をすれば相手の残された時間を有意義に過ごさせてあげることが出来るのか。よく分からない。

私は、自分としての意識があるうちで、誰かを亡くした経験が1度しかない。その1度も、死の意味や生きることの意味が分かっていない時のものだった。だから、もしかしたら今回が初めての「誰かを亡くす」という経験になるかもしれない。

今日の葉書には、残された時間を海外で過ごすと書いてあって、それは残された時間を楽しむものではなく、残された時間をより延ばすために行くとあった。

私には何が出来るのだろう。

今は、少し私も東京を離れ、先生のいる場所に数日でもいいから行って、一緒に残された時間を延ばす手助けが出来たらと思っている。

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コメント

正式な題名忘れましたが、末期ガンですが生きてます。。。というような本が本屋にありました。検索しても出てこなかったけど。。。それは主に食事療法と最先端サプリで延命してるというものでした。
先生がどちらに行かれるのかわかりませんが、インドのアーユルベーダとかも難病にいいといわれてます。まあ手術出来ない位なので進行してるのかもしれませんが、やれることは全部試したほうがいいと思います。今私がやってるのは水素水を飲むことと、核酸を飲むこと、あと玄米食。。。それでもこないだの検査でそんなに良くなってなかったので、ちょっとショックでしたが、(まあ私はガンでなく、ガンになる可能性があるという段階ですが)でも引き続き、色々試したいと思ってます。あとやはりメンタルもかなり関係あるみたいですね。。。

英語の先生か…
小学校の頃のその先生の教えが、たぶんセレブさんの今日、そしてこれからの生活の中で生き続けると思う。

それを恩師に伝えたら?

何をすれば相手の残された時間を有意義に過ごさせてあげることが出来るのか分からないって言ったけど、セレブさんは、既にそれを成した。
一教師として生きていたその方の人生を有意義にするものは、まさにセレブさんのような生徒の活躍だと思う。

人の命は脆くてはかないが、こういう温もりのある繋がりというか絆というか、それだけが救いと慰めになるかなぁ…

大学生のときに亡くなった僕のおじいさんは、亡くなる数日前に

「もう長くはないから、お前のお母さんやおじさんには話していないが、お前だけには話す」

と言い、おじいさんが何を思って働いて、どうやって仕事をして、どう家族を思っていたかを話してくれました。

20代で当時の一番の銀行を辞め、友人と会社を運営していくためにスレスレのことまでをやってきた話でした。

僕は心からおじいさんの考えや生き様が伝わりました。だから、この思いを誰かに必ず伝えようと決心しています。その誰かも既に決めています。

誤解を恐れずに言えば、セレブさんの出来ることも同じで、先生の生き方や思いを再度伝えてもらい、セレブさんがずっと忘れずに、また誰かにその思い等を伝えていくことを、先生に伝えることではないかと思います。

大事な人が亡くなるのは非常に残念ですが、誰もが通る道のひとつだと思いますので、セレブさんと先生が後悔するようなことにならないことを祈っています。

私も数年前に身近な友人を癌で亡くしました。
なくなる直前、その人が言っていたのが、自分が生きていたということを人から忘れ去られるのが一番怖いと言っていました。でも、セレブさんの先生はセレブさんの心の中にずっと居たし、これからも居続けるでしょうし、それが先生にとって生きた証となるのではないでしょうか?私はそれだけでもその先生はとても幸せだと思いますよ。他の方も上で言っていましたが、ぜひそのことを先生に伝えてあげてください。
今は辛すぎて見られないかもしれませんが、人の生死と向き合うときにオススメの映画があります。もうセレブさんはご覧になっているかもしれませんが参考までに。
My life without me (邦題:死ぬまでにしたい10のこと)
Les Invasions Barbares(邦題:みなさん、さようなら)

(精神的な)支えを相手から求められたときにだけ、応じてあげてください。自ら積極的に(能動的に)支えを申し出ることや行動を起こすことは、本人が心の平穏がいちばん大事なときには、必ずしも助けにはならなかったりします。

死に面した、究極の状態におかれたとき、なんとかその状況を受け入れて、心のバランスをとれるようになるまで、時間は掛かるものです。私だけかもしれませんが、親切の押し売りは、逆に重荷になったり、落ち着きかけた心のバランスを崩したりしました。

生死の問題は、すべての個人が、時期は違えども自分と向き合って解決/納得しなければならない問題です。そこに他人は(どんなに近しい肉親でも)容易く介入できるものではないと、経験上気がつきました。

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